>>兵庫県クラブユース連盟とは

兵庫県サッカー協会に所属するクラブユースチームの連盟で2000年設立。中学生年代のU-15と高校生
年代のU-18に区分けされる。連盟としての歴史はまだ浅いが、黒田和生氏(現滝川第二高校サッカー部
監督)、加藤寛氏(現ヴィッセル神戸)、岡俊彦氏(現神戸フットボールクラブ職員)らが中心となって昭和
55年ごろから 兵庫県クラブユースリーグ戦を行っており、このリーグは現在も受け継がれている。

>>クラブとは

日本のスポーツは学校を中心に発達してきた。サッカーも例外ではなく昭和40年あたりまでは学校のサッカー
部でプレーするのが一般的であった。しかし、1969年に読売サッカークラブ(現在のTOKYOヴェルディ1969)
が設立され日本にも学校や、企業という枠を超えた「サッカー愛好家」によるクラブチームが誕生した。
兵庫県では昭和38年に設立された「兵庫サッカー友の会」が中心となりサッカー王国兵庫の再建を目指した。
兵庫サッカー友の会は社団法人神戸フットボールクラブ設立に貢献し、全国で始めての多世代型市民サッカー
クラブが誕生。昭和49年に日本サッカー協会の選手登録制度が身分制から年齢制となりクラブ誕生の追い風
となった。昭和52年第1回全国クラブ・ユース・サッカー・リーグ(高校生年代のクラブ全国大会)が長野県大町
市で開催され、さらに昭和61年第1回全日本クラブ・ジュニア・ユース・サッカー選手権(中学生年代のクラブの
全国大会)が長野県白馬村で開催 された。
  今ではJリーグクラブが数多くあり学校のサッカー部に所属しない選手によるクラブは広く認知されている。
サッカー選手は一選手はひとつのチームにしか所属できないためクラブチームと学校チームの両方に登録する
ことはできない。


>>クラブ発展の歴史

昭和38年 兵庫サッカー友の会が設立される
昭和39年 東京オリンピック・・・サッカーブームの芽生え
昭和40年 神戸少年サッカースクール開校
日本サッカーリーグ発足
昭和41年 六甲キッカーズ(現神戸FCシニアチーム)誕生。国際サッカー専用グラウンド建設運動開始
・・・44年神戸中央球技場(現在はウィングスタジアムに改築)完成
昭和42年 第1回全国サッカースポーツ少年団大会(本栖湖)
昭和43年 第1回サッカークラブ育成全国協議会(東京)日本蹴球協会主催
メキシコオリンピックで銅メダル
昭和44年 1ST FIFA COACHING SCHOOL が検見川で開催。
ドイツ人コーチデット・マール・クラマー氏が主任コーチ。・・・指導者養成システムの確立。
第2回サッカークラブ育成全国協議会(よみうりランド)
クラマー氏が協会組織改革を提言。
昭和45年 野津日本協会会長がクラマー氏の提言に答える。
1、体育指導者の育成
2、クラブ作りに援助を
3、地方組織の強化
4、協会機構の改革   以上日本蹴球協会ニュース「サッカー101号」より
社団法人神戸フットボールクラブ設立
昭和46年 神戸で第1回ジュニア・サッカー・サマー・フェスティバル始まる。
昭和47年 神戸FCでベテランズ・チーム誕生・・・壮年サッカーの芽生え。
昭和49年 財団法人日本サッカー協会設立。
登録制度が身分制から年齢制に変更される。
つまり学生であるとか、社会人であるとかでなく年齢の区切りにより登録する事が出来る
ようになった。これまでは、高校生は学校の部活動チームでしか登録できなかったが、
年代が同じなら学校が異なってもチームとして登録する事が出来るようになったのである。
神戸FCユースチーム(高校生年代)がこの変更に伴い日本サッカー協会第2種に登録し、
高校選手権大会に出場を働きかけたが、大会制度の壁にあい認められなかった。
このため、1種登録をし社会人リーグに加盟した。
第2種登録が認められなかったため、全国のユース年代チームは自分たちで独自の大会を
開かざるを得ない状況となった。
昭和50年 高校年代のユースチームの読売SCユース、神戸フットボールクラブ、枚方フットボールクラブ、
藤和不動産ユース、三菱養和サッカークラブなどが集まり那須ハイランドで独自の大会を
開催する。
昭和51年 クラブ・ユース交歓会を枚方フジタ工業で開催。
読売クラブユース、フジタ工業ユース、枚方FCユース、神戸FCユースが参加。
神戸FCレディース誕生。
神戸FCジュニアが学校部活動との二重登録をやめ協会3種に登録。
昭和52年 読売クラブよりユース・サッカー・リーグ(仮称)設立の提案。
第1回全国クラブ・ユース・サッカー・リーグ開幕(大町市)
読売ユース、枚方ユース、神戸FCユースが参加。
第1回全日本少年サッカー大会始まる。
昭和53年 昭和53年度クラブ・ユース・サッカー選手権大会第1回実施委員会開催。
大谷四郎(神戸FC、枚方FC代行)、相川亮一(読売SC)、森健児、加藤重史、
鈴木良平、品川敏明、西子実(三菱養和会)
クラブ・ユース・サッカー選手権大会開催(よみうりランド)
主催:全国サッカー・クラブ・ユース連合
実施委員:相川亮一、千野徹(読売SC)、大谷四郎、加藤寛(以上神戸FC)、
近江達(枚方FC)、塩谷英樹、加藤重史(以上三菱養和会)
主管:読売サッカークラブ
後援:日本サッカー協会、日本テレビ
参加チーム:読売SC、枚方FC、神戸FC、三菱養和
昭和54年 昭和54年度クラブ・ユース・サッカー選手権大会開催(よみうりランド)
参加チーム:読売SC、枚方FC、神戸FC、三菱養和、ソシオスFC、
横浜トライスター、藤岡FC、愛知FC
昭和55年 クラブユース連合より日本協会に2・3種大会開催のお願い。
昭和56年 クラブ・ユース・サッカー選手権大会で東日本で初の予選を実施。
昭和57年 日本クラブ・ユース・サッカー連盟設立。
設立総会:日本テレビ四番町別館会議室
連盟登録チーム数:13クラブ
会長:二宮洋一、理事長:両角秀夫
事務局長:相川亮一  ・・・事務局は読売サッカークラブ
初めて日本サッカー協会主催でクラブチームの全国大会が開催される。
西日本でも予選が開催される。
昭和59年 第1回日本クラブ・ユース東西対抗戦開催。
高浜カップが開催される。(全国の主だった中学年代のクラブチームが参加)
日本クラブ・ジュニア・ユース連盟設立を提案。
中学年代のクラブチーム実態調査をする事になる。・・・事務局は神戸FC。
昭和60年 日本クラブ・ジュニア・ユース・サッカー連盟設立(高浜市で設立)
会長:二宮洋一、理事長:日高猛(三菱養和会)
事務局長:中西義和・・・事務局は三菱養和会
昭和61年 第1回全日本クラブ・ジュニア・ユース・サッカー選手権大会開幕(長野県白馬村)
主催:日本サッカー協会、日本クラブ・ジュニア・ユース連盟
参加全国で16チーム。全国5地域で予選を実施。
昭和62年 第1回クラブ・ジュニア・ユース東西対抗戦開催。
昭和63年 2・3種懇談会:クラブユース、ジュニア・ユース、高体連、中体連と協会強化部の
代表者で2・3種種別大会開催について話し合う。・・・その後この動きは高円宮杯
U-18、U-15開催へと発展していくが、この中で当時の日本クラブユースサッカー
連盟会長であり、日本サッカー協会監事の二宮洋一氏の功績が大きい。
平成元年 2・3種実施委員会開催:日本協会2・3種大会開催に踏み切る→高円宮杯。
2種:全日本ユース選手権プレ大会が8/26〜30で東京開催。
3種:第1回全日本ジュニア・ユース選手権大会が11月下旬から開催。
平成5年 Jリーグ開幕。Jリーグの下部組織はクラブユース連盟に所属となり、発展が期待される。
平成9年 日本クラブ・ユース連盟とクラブ・ジュニア・ユース連盟が統合し
日本クラブ・ユース・サッカー連盟(JCY)」として新たなスタートを切った。

資料作成日本クラブユースサッカー連盟理事 加藤寛(ヴィッセル神戸)

>>メッセージ

  学校を中心として発達してきた日本のスポーツやサッカー環境はこのような歴史から「クラブ」という形に
なって姿を変えてきました。Jリーグの開幕、ワールドカップの開催。多くの人が必死の努力で日本のサッカーを
支えてきました。これからはクラブの中でもJクラブと町のクラブとの競合、すみわけ、学校スポーツの環境整備
などが課題となるでしょう。
  当たり前のように芝生の上でボールを蹴ることができるのもそんな昔の人々のおかげという事を少しだけでも
思い出してください。そして、もっとよい環境を次代の子供に受け継がなくてはなりません。「もっとすばらしい
環境を未来の子供たちに!」それがわたしたちの使命です。 
         
                                    2005年3月兵庫県クラブユースサッカー連盟理事一同。


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